今回の記事では浦島太郎で本当に伝えたい事を次の3点から解説していきます。
子供の頃に一度は読んだ記憶のある”浦島太郎”
カメを助けて良いことをしたのに、最後はお爺さんになって終わってしまう。
これは、なにが言いたいのだろうか。
良いことをしたのにどうしてバッドエンドなんだろう。
ここから何を学ぶのだろうか。
このように思われた事はないでしょうか?
記事を読む前と後では、今まで感じていた浦島太郎と見方が変わっているかもしれません。
1.浦島太郎の教訓が分からない!?本当に伝えたいこととは?
2つの教訓を子供に伝えたかったと言われています。
・約束を破ってはいけない
この2つの教訓を詳しく見ていく前に、まずは浦島太郎のあらすじを簡単に記載します。
ここでは一般的に広く知られている『日本昔噺』浦島太郎についてお話をします。
日本昔噺は童話作家である巌谷小波(いわやさざなみ)が1896年に発表したもので、子供向けに手を加えて短縮したものです。
①浦島太郎がいじめられていたカメを助け、お礼に竜宮城へ招かれる
②乙姫に出会い豪華なおもてなしを受ける
③故郷に帰りたくなった浦島は、乙姫から「決して開けてはならない」と言われ玉手箱をもらう
④故郷に帰ると数百年の月日が経っていた
⑤絶望した浦島太郎が玉手箱を開けると、白い煙がのぼりお爺さんになった
改めて伝えたい教訓の詳細を解説していきます。
良い事をしたら自分に戻ってくる
いじめられていたカメを助けたことで、竜宮城に招かれました。
竜宮城では故郷で味わえないほどの豪華なおもてなしを受ける事が出来ていますね。
良い事をすると自分に返ってくる事を伝えたかったということです。
約束を破ってはいけない
竜宮城を出る際、乙姫さまから
「どんなことがあっても決して開けてはなりません」
このように言われ玉手箱をもらいます。
ですが、約束を破り玉手箱を開けてしまった結果、お爺さんになってしまったのです。
このことから、約束を破ると罰があたる、という事を伝えたかったということです。
言いたいことはわかったけど、どうしてこのように中途半端に終わってしまっているのだろうかと思うこともあると思います。
このスッキリしない終わり方は『子供向けに話をカットした』事が原因だったのです。
ここからはカットされた部分を見ていきましょう。
浦島太郎の原作は「御伽草子」と言われており、「御伽草子」の結末はこうです。
①~⑤までは「日本昔噺」浦島太郎と同じ
⑥煙の効果でお爺さんになったあと、更に鶴(神の象徴)へと変身
⑦亀(神の象徴)になった乙姫と再開し夫婦になって幸せに暮らしました
このように本当はハッピーエンドの恋愛話だったのです。
ではなぜ巌谷小波(いわやさざなみ)は結末をカットしたのでしょうか?
理由は2つあると言われています。
・子供向けにするために、お爺さんになった後の”恋愛要素”をばっさりカットした。
浦島太郎は御伽草子(原作)と日本昔噺(アレンジ)で伝えたいことが大きく変わります。
2.浦島太郎の教訓についての世の中の声や意見・感想
さまざまな声や意見があります。
ここでいくつかピックアップしてみます。
・自分の都合で帰ったから、乙姫の復讐である
・「開けちゃダメ」という振りに耐えられなかった人の末路
・知り合いもいない世界から開放させるためにお爺さんにしてあげた
・目先の快楽に溺れてはいけない
・恩を仇で返される教訓である
・知らない亀についていくと痛い目に会う
・おいしい話には裏がある
・亀を助けるべきではなかった
・怪しい女には近づくな(ハニートラップ)
このように、少しネガティブに捉える意見が多く見られます。
せっかくカメを助けていい事をしたにも関わらず、終わり方がお爺さんになって終わってますね。
そのため「ネガティブな意見が多いと予測出来る」のではないでしょうか。
さらにカメを助ける時には、「銭を払って」カメを助けてますからね。
身銭を切って助けたにもかかわらず、お爺さんになって終わってしまう。
自分の身に置き換えて考えると少し恐ろしい結末かもしれませんね。
一方で著名人はこのように解釈しています。
太宰治
誰も知る人のいない世界は不幸せである。長い人生苦しんで生きるより、お爺さんとなり短い時間を過ごした方がいい。忘却こそ最高の真理である。
浦島太郎に詳しい千葉大学名誉教授の三浦先生
昔噺に教訓なんてなくていい。
楽しければいい。
このように浦島太郎は読み手により教訓や捉え方が変わる、ある意味珍しい童話と言えるでしょう。
3.私はこう思う!浦島太郎の童話が伝えたかったのはこういうことじゃない?
一つの捉え方として、私の感想をお伝えします。
”見えないところでも善人である必要がある”
と私は考えています。
乙姫から言われた「どんなことがあっても開けてはなりません」これは乙姫との約束事となります。
見えないところで約束を破ったからこそ罰がある。このように私は考えています。
私自身「誰も見てないからこれくらいいいでしょ!」と考える事は多くあります。
見えないところでもできる限り善を尽くすことにより、本当の善で返ってくるというメッセージが込められているのではないでしょうか。
現代では表に出ていないところで悪事を働くこともあります。
特にネット社会である現在だからこそ、相手に自分が誰だか分からないだろうと考え、悪いことをする人もいるのも事実です。
こういった見えないところでも善人である必要があるという教えなのではないかと私は考えています。
また三浦先生の言う「教訓などなくても良い」この意見には奥深さを感じました。
もしかすると答えはなくて、自分なりにアレンジを加えられるように出来る童話なのかも知れません。
あなたが浦島太郎を子供や知人に話す際は、あなたの考えで伝えていくことが何よりも大切なのかもしれませんね。
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